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志木市ゆかりの偉人について

ページID:0028770 更新日:2022年9月12日更新 印刷ページ表示

志木市ゆかりの偉人について

埼玉県ホームページにおいて「埼玉ゆかりの偉人」として掲載されていた志木市ゆかりの方々を紹介しています。

埼玉県内の他自治体の偉人については、埼玉ゆかりの偉人ホームページ<外部リンク>をご覧ください。

白井 武左衛門(しらい ぶざえもん)

  • 生没年 不明
  • 分野 産業
  • 主な功績 地域の治水事業

江戸時代に宗岡村を知行した旗本岡部氏の家臣。寛文2年(1662)に用水に乏しい宗岡に野火止用水を引くため、交差する新河岸川に「いろは樋」という掛樋を架設した。この架設によって宗岡村の農業発展に寄与した。
また、宗岡村の洪水を防ぐため、東西の新河岸川堤と荒川堤を結ぶ北側の佃堤、南側の新田場堤を築造し、宗岡村の惣囲堤を完成させた。このように治水整備に尽力したため、村民から感謝され、文化10年(1813)に供養塔、明治41年(1908)に頌徳碑、明治43年(1910)に治水碑が建立されている。

井下田 慶十郎(いげた けいじゅうろう)

  • 生没年 慶応元年〜昭和6年(1865〜1931)
  • 分野 産業
  • 主な功績 地域への鉄道敷置

江戸時代から新河岸川の引又(現志木)河岸で廻漕問屋を営んできた井下田家第16代当主。明治14年(1881)に井下田家の家督を相続した慶十郎は、明治以後河川交通である舟運が衰退し、鉄道業が発展していく中で、自らも鉄道業へ関心を深めていった。日本鉄道の開通以降、その沿線である蕨・浦和・大宮などが著しい発展を示しているのを目のあたりにし、これからは陸運(鉄道)の時代であると認識をし、鉄道業に積極的に参画した。特に慶十郎が誘致に熱心であった東上鉄道は、大正3年(1914)5月1日に池袋から志木を経由し、川越まで開通した。その最大の功労者が慶十郎で戒名も「交通院慶運東上居士」となっている。

西川 武十郎(にしかわ ぶじゅうろう)

  • 生没年 万延元年〜昭和13年(1860〜1938)
  • 分野 その他
  • 主な功績 実業家・肥料商・地域振興

肥料商、大地主。明治16年(1883)家督を相続し、土地集積に努力した結果、大正12年(1923)の耕地所有反別は、田115町歩、畑160町歩に達し、埼玉県下最大の地主に成長した。所有地は、北足立郡下16町村、入間郡下14町村に及び、小作人戸数は、820戸であった。南畑村(富士見市)の小作争議(大正11から13年)では、最大の不在地主(約43町歩)として、小作人と対立、その要求を認めた。また、肥料商を経営し、東上鉄道(現東武東上線)志木駅の建設費等を寄付した。大正3年(1914)に志木町兵事義会が結成されると顧問に就任、出征兵士家族の援護活動にあたった。
また、埼玉育児院や埼玉学生友掖会の運営や埼玉会館建設等に際して多額な資金寄付を行うなど埼玉県の発展に対しても功績を残している。

香川 茂(かがわ しげる)

  • 生没年 大正9年〜平成3年(1920〜1991)
  • 分野 文学
  • 主な功績 児童文学者『セトロの海』ほか

作家。『セトロの海』、『海からきた怪神』、『いのちぬすびと』、『炎に消えた神牛』ほか多数の著作がある。平成3年に第30回日本児童文芸家協会児童文化功労者として表彰される。元志木市いろは文学賞選考委員(第1回、2回)。

1958年『夜の富士』(読売新聞社) 第5回読売短編小説賞受賞作
1963年『南の浜にあつまれ』(東都書房) 第5回全国読書感想文コンクール課題図書
1967年『セトロの海』(東都書房) 第5回野間児童文学賞受賞作
1980年『高空一万メートルのかなたで』(アリス館) 第29回小学館文学賞受賞作、第27回サンケイ児童文化賞受賞作

永倉 万治(ながくら まんじ)

  • 生没年 昭和23年〜平成12年(1948〜2000)
  • 分野 文学
  • 主な功績 小説家・随筆家・「アニバーサリー・ソング」

作家。昭和23年生まれ。立教大学中退。”東京キッドブラザース”に在籍後、放送作家、広告プランナーなどを経て各種雑誌に独特のエッセー、小説を発表。平成元年に「アニバーサリー・ソング」で講談社エッセイス賞を受賞。その他の著書に、『武蔵野S町物語』、『黄金バット』、『みんなアフリカ』、『陽差しの関係』、『結婚しよう』、『これでおしまい』などがある。


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