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市内カッパ像めぐり「大門」
大門
今回は、寳幢寺(ほうどうじ)(柏町一丁目)の境内の文殊堂前に設置されているカッパ像「大門(だいもん)」を紹介します。
「大門」は、寳幢寺周辺の檀家で組織されている「中野大門会」の皆さんが「寳幢寺に伝わる河童の伝説を永く後世に伝えていきたい」との思いから、平成4年7月に設置したもので、(有)ヨツヤ星野石材(幸町)の星野潤一郎さんが制作しました。
なお、「大門」という名前は、平成18年11月に志木ロータリークラブが創立35周年記念事業の一環として公募し、名付けられたものです。
寳幢寺の河童伝説は、文化6年(1809)に刊行の『寓意草(ぐういそう)』に収録された後、大正3年に日本民俗学の創始者ともいわれる柳田國男の『増補山島民譚集(ぞうほさんとうみんたんしゅう)』にも「和尚ノ慈悲(おしょうのじひ)」と題して紹介され、一躍全国的にも有名になりました。
鮒を和尚さんに届けに来た様子を表しています
和尚さんに命を助けられお礼に鮒を2匹届けた河童
『寓意草』には、寳幢寺の河童伝説として、次のような話が収録されています。
昔、柳瀬川には河童がいて、人や馬をよく襲っていた。ある日、寳幢寺の小僧が馬に水浴びをさせるため、馬にまたがって柳瀬川の中に乗り入れたところ、馬が急に驚いて川から飛び出したため、近くの田んぼの中にふり落とされてしまった。田んぼからはい上がり、馬の後を追いかけ、寺の馬小屋に到着すると、馬が異常に興奮していた。
不審に思い、馬の周囲を見ると、10歳くらいの子どものようなかっこうをしたものがいた。
小僧の手にからんできたので、すみの方に連れて行って捕まえてみると、それは河童だった。
馬にかなり踏まれて弱っているこの河童を馬小屋の外に引きずり出したところ、近所の人々も集まってきて、「柳瀬川で悪さをしているのは、こいつだろう、焼き殺せ」と言って、おおぜいで積み上げた薪(まき)に火を付け始めた。
河童は自分が焼き殺されることを知って涙を流し、手を合わせて周りの人たちに許しをこうた。
寺の和尚もこの様子を見て、河童をあまりにもふびんに思い、人々に命乞いをし、弟子にしてやろうと衣を河童の体にかけた。
そして、「今後は、決して人や馬に危害を加えてはいけないよ」と言うと、河童は地面にひれ伏して泣いた。
これを見た人々はかわいそうに思い、河童を川のほとりまで連れて行って放してやると、泣きながら水の中に帰って行った。
翌朝、命を助けてもらったお礼のつもりか、和尚の寝ている枕元に鮒(ふな)が2匹置いてあった。
この後、柳瀬川で人や馬が行方不明になることはなくなったという。