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在原業平(ありわらのなりひら)と皐月の前(さつきのまえ)

ページID:0002592 更新日:2022年9月12日更新 印刷ページ表示

在原業平(ありわらのなりひら)と皐月の前(さつきのまえ)

昔、志木地方一帯を支配していた豪族の田面長者長勝(たのものちょうじゃおさかつ)には、皐月の前(さつきのまえ)という息女がいたが、東国に下った業平(なりひら)が長勝の館に滞在したおり、業平と皐月の前は恋におち、ある晩館から逃げ出したのである。

これを知った長勝は家来に捜索を命じたが、広大な武蔵野のことゆえ手がかりさえも得られず、窮余(きゅうよ)の一策として、樋の橋(ひのはし。新座市片山)の辺りから野火をつけた。猛火は2人の所にまで迫り、あわやと思った皐月の前が「むさしのは今日はなやきそ若草の、つまもこもれり我もこもれり」との一首を詠むと、不思議にも火は消え去ったが長勝の家来に発見されて、館へ連れもどされてしまったのである。

そのとき2人が隠れていた場所は後に業平塚(なりひらづか。平林寺境内にある)と呼ばれた。

また、野火止の地名も、このことにちなんで生まれたものだとも伝えられている。(柏町3丁目付近の伝説)

在原業平と皐月の前田面長者長勝の館があったと伝わる長勝院跡地にある市指定文化財「チョウショウインハタザクラ」チョウショウインハタザクラ


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