昔、藤原長勝(ふじわらのおさかつ)の館(志木第三小学校付近にあったといわれている)は、大蛇ヶ淵(おろちがふち)という天然の要塞(ようさい)に守られていた。この淵を水田にしたいと考えた長勝は工事に着手したが、淵には頭がはるか彼方の草むらにもぐって見えぬ程の大きな「首無し」(かしらなし)という大蛇が棲(す)んでおり、その大蛇の怒りに触れて工事は失敗した。そこで長勝は、家宝である弘法大師の筆による不動明王にお願いをした。すると、夢枕に老人が立ち「この2本の矢をお前にやろう。それで大蛇の両眼を射よ。」とのお告げがあり、目をさますと2本の白い矢が置かれていた。そうして工事も再開され、終わりに近づいた頃、ついに首無しが現れた。不動明王を心に念じて彼が放った1本の矢は、大蛇の右目を射抜いたが、2本目の矢は的をはずし、もはやこれまでと思った時、白衣をまとった若者が現われ、格闘(かくとう)の末に大蛇の首をはねた。不思議なことにその若者は、夢枕の老人や不動明王に似ていたという。長勝の手柄で大蛇ヶ淵は水田となったので、村人は彼を田面長者(たのものちょうじゃ)と呼び、田の中に残った底なし沼は「首無し」と呼ばれた。退治された大蛇の胴は、針ヶ谷(はりがや。富士見市)の胴山(どうやま。堂山)に流れつき、首は下流の長勝の館の裏で発見されたので、長勝は100人の僧を集めて首無しの大蛇を弔(とむらい)い、そこに弁天の祠(ほこら)を建立して首弁天(かしらべんてん)と名づけたという。

 首無しと首弁天