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山口大膳と荒井仁右衛門の決闘
山口大膳と荒井仁右衛門の決闘
荒川べりの字大野の地は、山口大膳が、また字小割(あざこわり)の地は、荒井仁右衛門がそれぞれ支配してたが、二人は境界問題で常に争いが絶えなかった。
ある日紛争解決に出向いた大膳が夕方になっても帰らないので、妻が現場の様子を見に行こうと途中の三貫田(さんがんだ)の池(虚空蔵池)まで来てみると、仁右衛門が池で血刀を洗っている姿を目撃し、夫の非業(ひごう)の死を察した。
そこで家に戻って弓をたずさえ、夫の仇(かたき)とばかりに矢を放ち、仁右衛門の眼(まなこ)を射抜いたのである。仁右衛門は刺さった矢を引き抜き、串刺(くしざ)しの片目を池の中にたたきこんで館(やかた)へと戻った。
しかし、その矢傷がもとでその後死亡した。
この事があってから三貫田の池の鮒(ふな)は、仁右衛門の怨(うら)みが乗り移ったかのようにみんな片目になってしまったという。(中宗岡4丁目付近の伝説)
※三貫田の池(虚空蔵池)
中宗岡4丁目4番付近にあったといわれている。現在、この地には、元禄12年(1699)に造立された「虚空蔵菩薩(こくぞうぼうさつ)」(市指定文化財)が設置されている。