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舘氷川神社(たてひかわじんじゃ)と椋(むく)の木
舘氷川神社(たてひかわじんじゃ)と椋(むく)の木
昔、天皇の命を受けた坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が蝦夷征伐(えぞせいばつ)に出かけたおり、武蔵野で別の賊(ぞく)と合戦になり、地理に疎(うと)い田村麻呂の軍勢は、敵に囲まれてしまった。
そこで武蔵国の総鎮守(そうちんじゅ)の大宮の氷川神社(ひかわじんじゃ)に戦勝を祈願したところ、近くの林の中に実を鈴なりにした椋の木を見つけることができ、田村麻呂は喜んでその実を兵士に食べさせると、兵士は元気を取り戻し、囲みを解き賊を退散させることができた。
戦勝は氷川神社の加護と信じた田村麻呂は、お礼のしるしにと椋の木の近くに一つの社(やしろ)を祀(まつ)ったという。
それが館氷川神社のはじまりであり、境内にあった椋(むく)の大木も、その時のものだったと伝えられる。(柏町3丁目付近の伝説)