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長勝院のチョッピラリン
長勝院のチョッピラリン
その昔、長勝院(ちょうしょういん。志木第三小学校と市営墓地の間にあった寺院)の辺りには多くの狸(たぬき)が棲(す)み、庫裡(くり。住職等の居間)にまで来ていたずらをするので困りぬいた隠居(いんきょ)の尊祐(そんゆう)は、狸をこらしめようと、いろりで石を焼きながら餅を食べていた。
すると「ご隠居様、私にも餅をください」と小坊主の声がした。
小坊主は住職のお供で留守であり、狸の仕業(しわざ)だと感づいた尊祐は、小坊主をいろりのそばへ誘き寄せ「ほれ、餅をやる」と叫ぶや否や熱く焼けた石を小坊主の股座(またぐら)へ放り込んだ。陰嚢(いんのう)を焼かれた小坊主は、悲鳴をあげて飛びあがったとたんに化けの皮がはがれてしまい、一匹の狸にかわった。あわてた狸は「長勝院のチョッピラリン」と悪態(あくたい)をつきつつ逃げ出した。
尊祐もすかさず「そういう者もチョッピラリン」とやり返した。こんなやりとりを繰り返しながら狸は姿を消したが、翌朝睾丸(こうがん)にやけどを負って死んでいる大狸を尊祐が発見したのは、寺の後ろの茶の木のかげであった。(柏町3丁目付近の伝説)