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アチーチーの話
アチーチーの話
昔、引又宿(ひきまたじゅく。現在の志木市本町付近)の肥料屋へやっとのことで代金の支払いを済ませた水子村(みずこむら。現在富士見市)の吾兵衛は、ホッとして、帰り道の酒屋で茶碗酒(ちゃわんざけ)を楽しんだ。
そうするうちに夜になったので、提燈(ちょうちん)の明かりを頼りに雨の中を千鳥足(ちどりあし)で水子道へと来たが、道のくぼみに足をとられた拍子(ひょうし)提燈が燃え出し、見るまに着ていた油紙(あぶらがみ)の合羽(かっぱ)に燃え移った。
全身を火に包まれた吾兵衛は、アチチー、アチチーと悶(もだ)え苦しみながら焼け死んだのである。
その後、近所の家でよくない事が続くので、宮戸(みやど)の稲荷様に拝(おが)んでもらったところ、吾兵衛のたたりだと出たので、手厚く供養したら、その後は、たたりらしきものは起きなかったという。(柏町1丁目付近の伝説)